2020.03.15
2019年5月に成立した「大学等における修学の支援に関する法律(以下「新修学支援法」)は、法律の立て付けと、制度の運用という二つの側面で問題がある制度である。この節では、上述の二つの面に分けつつ、その問題点を指摘したい。
まず法律がどういった趣旨で作られたのか、またその実施に当たる財政上の問題点など、法律の立て付けにかかわる部分について述べる。まず、この法律は政府によれば高等教育政策として位置づけられたものではない。法律の第一条で述べられている「目的」は以下のようなものである。
第一条 この法律は、真に支援が必要な低所得者世帯の者に対し、社会で自立し、及び活躍することができる豊かな人間性を備えた創造的な人材を育成するために必要な質の高い教育を実施する大学等における修学の支援を行い、その修学に係る経済的負担を軽減することにより、子どもを安心して生み、育てることができる環境の整備を図り、もって我が国における急速な少子化の進展への対処に寄与することを目的とする[1]。
この条文では、この法律の目的は「我が国における急速な少子化の進展への対処に寄与すること」とあり、あくまでも少子化への対策を目的としたものであることが述べられていて、日本国憲法第26条1項[2]や、国際人権規約の社会権規約13条[3]に定められた「教育を受ける権利」への正当な応答として位置づけられているとは評価できない。国民の高等教育を受ける権利を保障するという観点が抜け落ちていることは大きな問題である。
また、本法律はその制定において「消費税増税分を充てる」ことが明言されており[4][5]、本来権利であるはずの高等教育の保障が、財源的な制約によって左右されるという構造的問題を有している。消費税の値上げが、権利の保障とトレード・オフであるかのような法律の立て付けは不適切である。それに加え、この法律では今般の高学費の問題が政府による高等教育への支出の抑制から生じていることなどの問題を等閑視しており、高学費による重い家計負担がなぜ生じているかということについて適切な政策的検証を経ているとは評価できない。
また、法律のなかでは、この制度の対象となる条件として大学に実務経験がある教員を配置すること、大学の役員に外部人材が含まれていることなどを求めるなどのいわゆる「機関要件」が定められている。これは大学における教育内容の自治への介入であるとともに、就学困難な世帯の学部生が普遍的に利用できることを前提としていない点で大きな問題がある。
まず第一に指摘しなければならないのは、この新制度の対象から大学院生が外されていることである。大学院生は、研究を遂行すると同時に教育を受ける存在であり、教育を受ける権利を保障されるべき対象であるのにも関わらず、この制度においては無視されている。法律の運用が発表された当初、もともと存在した国立大学の授業料減免制度(以下、旧制度)を新制度に置き換える関係から、およそ1万7千人以上に上る旧制度を利用する大学院生[6]の支援が打ち切られることが懸念された。問題点の指摘を受けて文科省は、新制度の対象とならない大学院生に対しては国立大学の授業料減免制度を維持する予算措置をとることを発表したが、存置される旧制度に対する予算措置が2019年度の355億円から2020年度の223億円へと減少している[7]こと、そのうちの大学院生向けの予算額が明示的に示されていないことなどから、今後の運用には注視が必要である。
また、私立大学に通う大学院生についても、まったく無関係といえない状況が生じている。もともと私立大学では、それぞれの大学で実施する授業料減免制度に対し、文科省がその費用のうち半分を超えない範囲で予算措置をして支援をする枠組みがあり、これによって私立大学の授業料減免制度が一定維持されてきた[8]。2020年度の概算要求を見ると、こうした措置のうち学部生向けのものに関しては新制度への移行に伴って廃止される見込みであり、また大学院生向けのものは概算要求に文言で確認できるもののその具体的な予算規模は明記されていない[9]。
次に、主な制度利用者として想定されている学部生について述べる。
まず、私立大学に通う学部生については、もともと存在する各大学の実施する修学支援制度が自主的なものにとどまっていてその対象が非常に限られていたことから、今回の制度の創設によって支援を受ける学部生が量的に拡大したことは一定評価できる[10]。ただ、その減免の対象となるのは入学金と授業料のみであり、私立大学の多くで設定されている施設設備費や実習費は減免の対象から外されている。特に芸術系、医学系などではこれらの費用が高額に上ることも多く、実際に学生が負担する「学費」全体から見たときの負担軽減が不十分な点がある[11]。
次に、国立大学に通う学部生にとっては、もともと存在した授業料減免制度から切り替わる関係から、これまで減免を受けられていた収入水準の世帯の学部生が支援を受けられなくなり、支援を受けられる学生が縮小することが当初から指摘されていた。こうしたことから文部科学省は、2019年12月に、現時点で在学している学部生に対しては経過措置として当面は旧制度における授業料減免が維持されるよう予算措置をすることを発表した[12]。ただし、2020年度から入学する新入学部生については完全に新制度のみの適用となり、これまで支援の対象となってきた所得水準の世帯出身の学部生も授業料の減免が受けられなくなる。
また、新制度は留学生をその制度の対象としていないことも問題である。今後新制度に切り替わるなかでこれまでの制度においては進学することのできた留学生が日本の大学への進学を断念することが懸念される。こうしたことは、すでにフランスなどで先行して起こりつつある状況[13]――すなわち域外の留学生からは学費を徴収する制度――と類似した傾向である。すでに一部の私立大学などでは「グローバル化」の標語のもとで大学が「学費を気前よく払う留学生の収益源化」を行っているような状況も生まれつつある。本来は人類共通の知の基盤としての責任を負うべき大学が、留学生を大学の収益源とするような方向性を後追いするものとならないかどうか、今後の展開に注意が必要である。
国立大学の授業料は、2004年に国立大学が法人化されて以降、文部科学省が省令で定めるいわゆる「標準額」である53万5800円におおよそ据え置かれてきた。しかし、2018年から2019年にかけて、5校の国立大学が授業料の値上げに踏み切った。また、2020年2月には、経団連の産学協議会や文部科学省の検討会議などから、国立大学の授業料の法人独自裁量の値上げ上限である120%を撤廃して各大学が自由に値上げすることを可能にしようという動きが表面化した。この節では、こうした問題について順番に取り上げる。
2018年から2019年度にかけて、東京近郊の大学を中心に5つの国立大学(東京工業大学、東京藝術大学、千葉大学、一橋大学、東京医科歯科大学)が授業料の値上げを発表した。これらの大学ではいずれも、文部科学省の省令で定められている、国立大学法人がそれぞれの裁量で値上げすることが可能な授業料の上限(標準額の120%)である約64万円まで値上げを行った。
これらの大学ではいずれも、教育内容の充実や研究力の向上などをその名目としている一方で、そうした目的にあたって具体的にどのような事業を行い、それに費用がいくらかかるのかといった、授業料の値上げの予算上の算出根拠となる資料はほとんど公表していない。こういった姿勢の背景には、第一に、そもそも学内の構成員に授業料値上げの根拠を説明する努力をほとんどしていないという点で、大学における民主的決定プロセスの無視という問題と、第二に、すべての大学が横並びでほぼ上限いっぱいに上げていることからもわかる通り、大学の経営が厳しいために自己収入をできるだけ増やすという、国立大学の基盤的な運営費交付金が減らされてきたことから生じる経営難という問題がある。
今回値上げを決めた国立大学は、理工系の研究大学である東京工業大学、芸術系の単科大学である東京藝術大学、ほぼ総合大学であり、医・理工・人文社会系のすべての学部を持つ千葉大学、人文社会系の単科大学である一橋大学、医師・歯科医師・看護師などを育成する医系単科大学である東京医科歯科大学など、日本国内で設置されている国立大学のあらゆる形態が含まれており、「改革」への圧力や経営難がその形態を問わずに国立大学に全般的に現れていることが見て取れる。
詳しくは後述の「他団体連携」でも述べるが、これらの国立大学の学生などからは授業料値上げに反対する声が挙がっており[14]、これら国立大学に共通する問題に対応する団体として「国立大学の授業料値上げの中止を求める会」が結成されている。その結成宣言においては、国立大学は高等教育の機会均等に責任があることを指摘し、こうした授業料値上げが、誰もが持つ学ぶ権利をいままで以上に侵害するものであると批判している。
大学院生に対する影響という面では、東京工業大学、東京藝術大学、千葉大学、一橋大学の一部研究科などで大学院生の授業料が値上げされたことが直接の影響を与えている。また、それぞれの大学院で実施される大学院生向けの授業料減免制度がどのような範囲をカバーするものかについてはそれぞれ対応が分かれている。東京工業大学では、授業料では全額・半額免除が通常通り募集される一方、一般的に多くの国立大学で全額が免除される入学金免除は半額の免除のみとなっている[15]。東京藝術大学は現行の授業料減免制度を引き続き実施することを明言している[16]。一方で千葉大学では、2020年度からの新入大学院生が旧制度の授業料減免を受けられるとは明言しておらず、値上げ分も含めた授業料に対して減免が実施されるかどうか不透明である[17]。一橋大学においては、大学院では経営管理研究科のみ授業料を値上げするとしており、またその開始時期を2021年入学者からとしている。この経営管理研究科の授業料減免制度がどのようなものとなるのかについてはまだ公表しておらず、今後その動向に注目が必要である[18]。
こうした授業料の値上げは今後全国的な広がりを見せていく可能性があり、次項で取り上げる国立大学の授業料「自由化」とも関連して、日本社会における高等教育を受ける権利の状況が深刻な後退を余儀なくされる危険をはらんでいる。
2020年2月21日、読売、日経、朝日など各紙で一斉に、文部科学省が法令で定めている国立大学の授業料の上限を「自由化」することを検討する会議を設置したことが報じられた。正確には、この会議では国立大学の経営基盤の強化を図るための“規制緩和”を検討するものとされており、このなかでは①授業料の自由化、②学生定員の自由化、③長期借入・大学債発行の要件、④その他自主財源確保策などを検討するものとしている[19]。授業料の自由化及び定員の自由化については、この会議の設置に先立つ2月3日に日経新聞から報道があった経団連と大学関係者でつくる産学協議会での検討事項と共通するものであり[20]、内容のとりまとめがまだ公表されていない[21]ために詳細は不明だが、産学協議会に参加した経団連の企業関係者と一部の大学関係者とのコンセンサスの下でこうした内容が決められた可能性もある。
朝日新聞の報道[22]によれば、こうした授業料の「自由化」について文科省担当者は「国立大には教育の機会均等という使命がある。私立大のように値上げすればよいというものではないが、検討しないのもおかしい」などと述べ、あたかも自由化が一律に授業料値上げにつながるものではないかのような説明をしているが、授業料の値下げに関しては現在なんらの規制もないことを考えれば、「自由化」によって可能になるのはもっぱら値上げのみであって、そもそも「経営基盤の強化」のなかに位置づけられている以上この「自由化」が指すのは65万円以上[23]への授業料値上げを検討するという以外のものではない。ただでさえ経営難のなかで現行の上限いっぱいまで授業料を値上げする大学が相次いでいるなかで、このような「自由化」がもたらすのは全国の国立大学の高学費化であろうことは明らかである。また、検討会議には地方大学の関係者などは全く参加しておらず、その意見が反映されない構造となっていることや、「自主財源」の名のもとにいわば「大学の私企業化」ともいうべき規制緩和がさまざまに盛り込まれており、国立大学の公共性と、学問の公的な存立基盤を脅かすものとなっており、授業料の値上げのみにとどまらないさまざまな問題を含んでいる。報道によれば、文科省の検討会議では「自由化」の是非に関する結論を2020年中に出すこととしており、こうした議論に対する批判を展開することは急務である。
2020年度は、こうした国立大学の授業料の値上げの動きに反対することが全院協の運動としても大きな課題となる。これまで積み重ねてきた省庁・議員要請のノウハウを最大限生かして情報収集と省庁・国会議員・メディアへのはたらきかけに努めるとともに、加盟校でもある一橋大学が授業料値上げを決めていることからも、その院生自治会の構成員などと連携して細かな情勢を共有すること、また「国立大学の会」などとも共同して運動を発展させることが重要である。詳しくは改めて「他団体連携」の節で述べる。
もともと、科学技術基本計画においては第3期の計画[24]が策定された2006年からおよそ15年にも及ぶ間、博士後期課程の院生の2割に生活費相当の額(年額180万円以上)を支給することを目標に掲げ続けてきているにも関わらず、実績としては10%程度にとどまってきた。2020年度を最終年度とする現行の第5期科学技術基本計画においてもその目標が達成される見込みの薄い中で、2020年1月23日に開催された第48回総合科学技術・イノベーション会議では2021年度から実施される第6期科学技術基本計画の策定に向けた「研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ」が検討された[25]。このなかでは、新しく博士課程に進学する修士院生の5割を目標に生活費相当額を支給することを早期に達成することを目指し、これを通じて「博士課程院生の2割」という旧来の目標をも達成しようとする取り組みが提案されている[26]。一方で、これらの財源を「外部資金等の多様な財源」「競争的研究費」などとしている点で、基盤的な予算措置が行われるかどうかについては見通しが悪い表現が使われている点には注意が必要である。学術振興会特別研究員の採用枠の拡大や、TA・RAの待遇の改善は全院協としてもこれまで要望してきたことであり、博士課程院生への支援が強調されること自体は望ましいこととである。一方で、財源なども含めてより詳しい内容が明らかになった時点で、速やかに財源上の問題などを指摘するとともに、より望ましい院生支援について政策的な要望を作ることが必要である。
[1] 文部科学省ホームページ「大学等における修学の支援に関する法律(概要、条文、新旧対照表)」(2020年2月29日閲覧)
[2] 「第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」文部科学省ホームページ「日本国憲法(条文抜粋)」(2020年2月29日閲覧)
[3] 13条2項Cに高等教育の漸進的無償化が規定されており、日本政府もこれを批准している。
[4] 文部科学省ホームページ「高等教育の修学支援新制度について」(2020年2月29日閲覧)
[5] 柴山文科大臣(当時)は、全国の都道府県の教育委員会に対し、すべての高校生と保護者に対して、今回の制度の財源が消費税であることを伝える「メッセージ」の周知を徹底するよう指示を出している。しんぶん赤旗2019年6月26日「“大学修学支援は消費税が財源”生徒・保護者に増税合理化」
[6] 2019年度高等教育局概算要求3ページより(2020年3月1日閲覧)。
[7] 令和2年度高著教育局主要事項2ページ下部にある「※「授業料免除の実施」については、高等教育修学支援新制度の授業料等減免分(内閣府計上)の264億円を含め、487億円を計上。」の表現から計算。https://www.mext.go.jp/content/20200114-mxt_kouhou1-000004025_08.pdf(2020年3月1日閲覧)
[8] 2019年度の予算では私立大学の授業料減免制度に対する予算措置は137億円、その対象となる学生(学部生・院生の合計)は7万3千人とされている。2019年度高等教育局概算要求3ページより(リンクは同上)。
[9] 例えば文科省高等教育局私学部「令和2年度予算(案)私学助成関係の説明」2ページなど。(2020年3月1日閲覧)
[10] ただし、新制度の導入によって大学が独自の修学支援制度を廃止するという事例が報告されており、各大学における細かな対応には注視が必要である。
[11] 文科省による調査「平成30年度 私立大学入学者に係る初年度学生納付金平均額(定員1人当たり)の調査結果について」によれば、平成30年度の学部生一人当たり平均額で文系が約15万円、理系が19万円弱、医科歯科系が約88万円、芸術系などその他が23万円強となっている。
[12] 共同通信2019年12月18日「国立大在学中の授業料減免維持 1万9千人に特例、激変緩和措置」 (2020年2月29日閲覧)
[13] “France to increase non-EEA university tuition fees(フランスが非EEA協定国の留学生の授業料を上げることを伝える記事)”(2020年3月1日閲覧)
[14] 毎日新聞2020年2月17日朝刊「国立大5校、授業料値上げ 昨春以降 学生ら、説明不足批判」
[15] https://www.titech.ac.jp/enrolled/tuition/exemptions.html
[16] https://www.geidai.ac.jp/life/exemption/tuition
[17] http://www.chiba-u.ac.jp/campus-life/payment/exemption.html
[18] 一橋大学「授業料減免」
なお、このWebサイトでは見出し番号が一部混乱しており、職員が対応に追われていることがうかがえる。
[19] 文部科学省「国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議設置要項」 (2020年3月1日閲覧)
[20] 日経新聞2020年2月3日「学び直しの学費、上限規制緩和を 経団連と大学提言」
[21] 日経の報道によれば、3月末には提言の報告書が取りまとめられる予定である。経団連のこれまでの政策提言の報告書と同じ体裁であれば、参加した委員もその報告書によって明らかになるため、ここに参加した大学関係者がどういった人物なのかも3月末には明らかになるものと思われる。
[22] 朝日新聞2020年2月21日「国立大の授業料、自由化を検討 値上げ相次ぐ可能性も」
[23] すなわち、標準額53万5800円の120%を超える範囲。
[24] 第三期科学技術基本計画20ページより。
[25] 総合科学技術・イノベーション特別会議「研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ」
[26] 前掲資料6ページ。