2020.03.15
近年の日本の高等教育政策は、新自由主義的経済政策のもとで、大学の市場化と「グローバル化」への対応を迫る経過をとってきた。2004年の国立大学法人化の前後より、市場化を求める政府・文科省、市場化に対応する大学・研究機関は「選択と集中」の原理により、短期的に、また数量的に評価できる学問分野を優先する傾向、また大学を産業界に役立つ人材育成の場ととらえ、それによる経済効果を求める傾向をとってきた。これ以降、現在に至るまで、大学は大きな変化、変質をさせられた。大学組織の面では、企業における経営機構に擬制された大学ガバナンス機構として、学長の権限が強化かれたトップダウン型の組織への改組が進められた。財政面では、国立大学運営費交付金が2016年度までは低減され、それ以降は大学の評価による配分の額を拡大されたことに代表される、競争的資金獲得のための競争に大学と研究者が強いられることとなった。競争的資金獲得のための競争は、長期的視野をもった研究から短期間で評価される成果を出せる研究へ、産官学連携研究により政府や企業の利益のための研究に、多額の研究資金を助成する軍事機関からの補助を受ける研究に転化することを強いられる結果となる。そして資金を背景にした統制により、大学が政府の意向に従って運営されることとなった。若手研究者育成の政策は欠如し、一部の競争力のある研究者への補助のみがされるだけで、若手研究者の数の減少には歯止めがなく、日本の研究基盤が将来に向かって弱体化することとなる。大学院生、大学生をはじめとして国民的運動によって2006年度を最後に行われなかった国立大学の授業料値上げが、大学ごとの値上げという形によって再びされようとしている。優良な教育には応分の対価を求める自己責任論的発想は、教育がビジネスの一種として運営されるという事態が到来したことを意味する。第二次安倍政権の発足以後、国立大学に対しての国旗掲揚や国歌斉唱の要請という形で、新保守主義的影響を大学が受けている。
現在に連続する大学政策が開始した時期は、2015年4月のガバナンス改革に関する改定学校教育法・国立大学法人法の施行、2016年1月の第5次科学技術基本計画の制定、2016年度からの国立大学第3次中期目標期間の開始といった、代表的な政策の適用時期として考えることができる。この期間における政策の変化は、大学をただ産業界の要求に従わせるだけでなく、国家戦略としての経済政策において、産業界への要求と大学への要求をリンクさせて政策を策定する傾向が出現したことを指摘できる。そのような動きが現れている一例として、「成長戦略」と称される基本的な国家戦略の文書における大学改革の具体的記述の増大と、それらを反映し、記述まで類似した大学政策文書の出現に示される。その関係の一つは、例えば文部科学白書では、「グローバル人材」「イノベーション人材」の育成が研究とともに大学の主目的であるという記述を従来していたところ[1]、2016年版以後は、これまで見られなかった「第4次産業革命」そのものの説明と、それに大学そのものが適応するとともにそれに大学が適応するとともに人材育成を行う趣旨の記述に書き換えられている[2]。この「第4次産業革命」は、2016年6月の日本再興戦略2016以来、主要な国家戦略のキーワードとなっている。また、2016年1月に閣議決定された第5期科学技術基本計画において提唱された造語である「Society 5.0」[3]が、統合イノベーション戦略で実現のためのイノベーションの拠点として規定されたり、2019年度予算案において国立大学が「Society5.0の実現に向け、人材育成の中核・イノベーション創出の基盤としての役割」を設定されたりと重要な目標となっている。一般的に第4次産業革命の要因として知られるサイバーフィジカルシステムや、それを構成するデータサイエンス、スマートマニュファクチャリングなどの技術と、それによって影響を受ける社会についての学問的関心が高いことは事実である。しかし、高等教育政策や科学技術政策にとどまることなく、たとえば「未来投資戦略」などの基本的な経済政策で、具体的な大学に対する要求や、産業、行政と大学の関係のあり方が規定され、それによって大学は今までになかった影響を受けている。
2019年の通常国会における安倍首相の施政方針演説で、「我が国から、新たなイノベーションを次々と生み出すためには、知の拠点である大学の力が必要です。若手研究者に大いに活躍の場を与え、民間企業との連携に積極的な大学を後押しするため、運営費交付金の在り方を大きく改革してまいります。」と、大学改革を進めることを宣言するなかで国立大学運営費交付金について具体的に言及した。国立大学運営費交付金は国立大学の運営の基盤となっている予算である。2019年度予算では、この予算に占める競争的配分の額が1割近い1000億円に拡大された。この競争的配分は、これまで大学の評価に応じて配分されていた機能強化経費の額を増額するとともに、これまで大学が自由に使途を決めることができた基盤経費にも評価対象となる枠を設けることにより拡大された。拡大された競争的配分の額は約800億円であり、まさに国立大学のあり方を大きく変容させ、劣化させるものである。この運営費交付金の制度改正は、2018年11月20日に突如として財政制度等審議会で提案されたものが予算案に反映された。この配分基準では、首相が「民間企業との連携に積極的な大学を後押し」とするように、産学連携研究やそれによる資金獲得実績を反映させることが予想され、大学がますます産業界に協力する研究に偏重し、そうでない分野の位置づけの低下も考えられる。また財政制度等審議会で根拠とされたデータには大きな問題があることが国立大学協会により指摘された[4]。問題がある財務省による主張には、「国公立大学への学生一人あたり公的支援は主要先進国の中でトップクラス」という主張が「具体的にどのようなデータを用いたのかが全く分からない」と指摘されるほか、「日本の論文1件あたりの研究開発費が高額である」、「科学技術関係予算の対GDP比の伸びが先進国と遜色ない」などの主張も、恣意的なデータの提示をもとに導いており不適切であることが指摘された。現在すでに大幅に不足している国立大学の運営資金を、より一層削る政策は悪影響が大きく危惧される。
2019年度のもう一つの大きな国立大学改革の動きは、国立大学の法人統合を認める国立大学法人法の改正である。2019年5月24日に改正施行となった。制度としては、国立大学法人が複数の大学を運営することができるほかに、一大学の法人であっても学長と別に理事長を置くことができるという変化がある。すでにこれに基づく統合計画として、名古屋大学と岐阜大学が統合した東海国立大学機構の形成、静岡大学と浜松医科大学の統合、小樽商科大学、帯広畜産大学、北見工業大学の統合、奈良教育大学と奈良女子大学が統合した国立大学法人奈良の形成が検討されている。このうち特に岐阜大学や静岡大学では学内議論が不十分であることによる大きな反対の声が起こっている。この制度により学長と理事長が分離された場合には、大学運営がいっそう外部理事の影響を受けることや、理事長が問題を起こした場合に歯止めがきかず、大学運営に影響を来しうることが問題として指摘されている(2020年度に予定されている国立大学の授業料値上げに関する問題は、本章3節並びに2章6節を参照)。
私立大学は、学生数が大学院で33%、学部では74%という相当な割合を占めており、高等教育の中で不可欠の役割を担っている一方、私立大学への助成、私立大学の学生への支援は諸外国と比べて少なく、また国立大学学生との負担は大きな差となっている。この中で日本私立大学連盟は、「高等教育政策に対する私大連の見解」を発表した。この中では現在の高等教育政策が、「一律の基準や強制力を伴った施策」により私立大学の自主性を損なうものとなっていることを中心に問題を指摘し、対応を政府に求めている。国立大学のみならず私立大学でも大学の運営が政府の統制を過剰に受け、研究、教育に影響する事態となっていることに対する反発の動きといえる。
研究の推進についての政策はまさに「選択と集中」の原理が反映されている。統合イノベーション戦略に見られるように、大学や研究機関での研究は、Top10%論文数として数量的に評価を受ける研究を推進することと、産業界で役立つ技術開発としての「イノベーション」研究が支援の目標となっている。研究支援制度の中でも大型プログラムとして、2018年度までのImPACTに代わる制度としてムーンショット型研究開発制度が創設され、予算案で約1000億円が計上されているが、これも「破壊的イノベーション」として応用性のある研究に限定される。基礎研究への支援は少ない現状が続いている。この点についてはノーベル賞受賞者のなかで大隅良典氏が「現在の科研費、とりわけ基盤研究の絶対額が不足しており、採択率がまだ圧倒的に低い。今の2、3倍になれば大学などの雰囲気も変わる」[5]と指摘するように、基礎研究は求められる数に比して実際の資金によるバックアップが非常に少ない状況が続いている。
大学、研究機関の研究者の育成は、将来の研究基盤の質に影響する重要な課題である。若手研究者に対する支援が必要であるという認識は、現在の高等教育政策にもあり、「世界で活躍できる研究者戦略育成事業」「国際競争力強化研究員事業」が来年度新たに開始することや、財政制度等審議会による「平成31年度予算の編成等に関する建議」でも、若手教員比率を運営費交付金配分で考慮する、若手教員の処遇を改善するという記載があることなどの政策がある。しかし、これらの対象はあくまで一部の実績のある若手研究者にとどまっている。現在博士課程在籍者が減少している原因は、研究者としての安定したポストが少ないからであり、その全体数を変えないまま、一定の評価を受けている研究者の中の一部のみを対象とした政策を実施しても、博士課程在籍者の数の増大にはつながらない。若手研究者支援といっても、すでに競争力をもった一部の研究者を支援するだけでは、日本の研究基盤を将来にわたって充実させることにはつながらない。
一方で、大学院生に影響する制度としては、卓越大学院制度が開始され、その中で研究奨励金を支給することが可能となった。少しながらも大学院生の支援制度が増えたことは評価されることである。
イノベーションを求める経済政策の中でリカレント教育の推進が求められ、政策としては、社会人受け入れを行う大学への補助や、「Society 5.0に対応した高度技術人材育成事業」が実施されることとなる。これにより大学院へ入学した者が、安定して研究ができ、雇用者から安定した待遇を受けられるように制度が運用されるか注視する必要がある。
2019年2月には、「大学の危機をのりこえ,明日を拓くフォーラム」(略称:大学フォーラム)が設立された。大学フォーラムは、現在の大学の直面する「危機」として、「基盤的経費の削減による教育研究の土台の弱体化」と、「不断の『改革』の押しつけによる大学の疲弊」の2点があるとし、大学の運営での自主性の尊重と、高等教育への公財政支出の増大を現状に対する対案として求めている。また、学費負担の軽減も同時に求めている。これまでも大学院生、大学生、大学教職員は大学改革の問題を是正する要求をしてきたが、この大学フォーラムでは発起人に梶田隆章氏、呼びかけ人に白川英樹氏の両ノーベル賞受賞者を擁し、呼びかけ人はこれまでの大学政策に関して発言してきた人びとよりも広い人びとから構成されている。大学の教育研究環境の劣化に関する現状が、より社会に発信され、現在の政策の改善につながる役割を担うことが期待される。
[1] 文部科学白書2014, p. 206や文部科学白書2015, p. 210など。
[2] 文部科学白書2016, p. 202および文部科学白書2017, p. 218。
[3] Society 5.0は、データサイエンスを基盤に実現をめざす社会のあり方を指して使用されている造語である。なお、ドイツ政府によって提唱された”Industry 4.0”が、語感が似ているが別の用語として知られている。
[4] 国立大学協会, 国立大学法人制度の本旨に則った運営費交付金の措置を!.
[5] 「科研費について思うこと」