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2016.07.30
今、普通に生きることができているだろうか。ここでいう「普通」とは、憲法第25条に定められている「文化的な最低限度の生活」である。全院協アンケートを見る限り、私には到底そうは思えない。食費を削らざるを得ない、収入が足りずに研究資料の購入を控えている、研究会や調査に行けない、挙句の果てには自己破産し、自殺までも考えている、などという悲痛な叫びが毎年寄せられている。
私大教連の調査によると、下宿生の一日当たりの生活費は 2014 年に 897 円、 2015年には850円へと過去最低を更新し続けている。 850円と言えば、凡そ新書一冊分で一日を生活することになり、或いはやや高めのランチ一食分である 。低下分の47 円は、 1 か月あたり1410 円、一年間で16920円にもなる。この金額は日々節約している学生・院生にとってはかなりの損失である。
私も、自宅生という恵まれた環境にありながら、高額な学費に苦しみ、学部時代に除籍されかけたことが2回あり、大学院も高額な初年度納付金が払えず一年間進学を見送った経験がある。その背景には、国際的に見て日本の学費は家計負担が3割を超え、学費も国公立大学で60年前の89倍にもなっていることがあり、負担は臨界点を迎えているのである。
生活基盤の不安定化と合わせて問題にしなければ いけないのが大学の基盤的経費削減である。運営費交付金は毎年のように機械的に減らされ、私学助成も 1975年に速やかに補助率を50%にするよう国会付帯決議が出たにもかかわらず、今なお10%に過ぎない。その結果大学で何が起こっているか。留学圧力が強まっているのに支援を縮小せざるを得ない、図書購入費が削られて本が購入できない、外国語論文の契約費用が賄えずに契約論文数に制限がかかるといった研究にとって致命的な悪影響が起きている。
加えて、奨学金の問題でいえば、奨学金が奨学金の様相をなしておらず、貧困ビジネスと化しつ つある。半数が奨学金を借りなければ大学に行けない、借りたところで将来正規職につけるかすら不透明で返済にも不安を抱える、こういう社会は普通といえるだろうか。
現在、日本の政策一般に欠如しているものと言えば「人」という視点であり、「人を育てる」という意識である。競争原理のもとでは個人が原子化され、その中での苛烈な競争に追い込まれ、自己責任の名のもとにそうした競争へと向かわせている原因に目が行きにくくなる。そのような社会では人々の個性は抑圧され、画一化される方向へと向かう。こうなってくると正常な社会とは言えまい。
私たち一人ひとりの力は弱く、小さい。しかし、現状に不満を持つ、或いはそれを変えたい、という声が集まればたとえすぐに成果が出なくとも社会を変える力となる。ここに運動の意義がある。私たちに求められていることは、社会との結びつきを強化し、共同して社会を健全な方向へと戻すことではないだろうか。私たち大学院生がこのような運動をし続けることができればうれしく思います。一年間よろしくお願いいたします。
2016年度全国大学院生協議会議長 土肥有理
給付型奨学金。これまで幾度となく政策イシューとして議題に上がっては様々な理由によって先送りされてきた、もはや学生にとって一種の悲願といっても差し支えないのではないだろうか。先進国 の中で給付型奨学金がないのは日本だけ、そもそも日本は学費負担が異常に重い、そんなことがずっと語られてきたにもかかわらず、なぜか給付型奨学金の実現は2016年現在においてもまだ先行きが見えない。実は野党のみならず、現在政権政党である自民党も、何度かマニュフ
ェストで給付型奨学金創設を訴えてきていた。しかし今になっても、馳浩文部科学大臣をはじめ自民党議員からは給付型奨学金創設に慎重な声が絶えず、果たして本当に給付型奨学金ができるのか、それともまた先送りなのか、一寸先に霧がかかっているかの如く見通しが立っていない。
もはやなぜここまで足踏みしているのか、苦笑しながら頭をひねりたい心地にすらなってくるが、その根底には教育の自己責任観が根付いていることがあるのだろう。教育を公共的な性格を持つ次世代育成システムではなく、教育商品として、購入する対象として見たとたん、それを支援する給付型奨学金は稀代の悪法に見えてくる。ユーキャンの資格講座を取ることに 対して、政府が税金で支援したら不信の声が上がるだろう。それと同じ視線を、大学に対して向けているのだ。給付型奨学金を給付することが不公平を増長するようにしか見えないのだ。しかし忘れないでほしい。この世界で一番の不公平は生まれによる格差だ。自らの親の資本は私たちの自己責任と努力ではどうしようもないのだ。そして親の資本は、悲しいかな、私たちの将来を左右することが多くの調査によって明らかにされている。そんな不公平を解決するための最善策の一つが、学費負担の軽減、給付型奨学金なのだ。
給付型奨学金を求める学生や大学院生はこれまで星の数のように存在した。私たちの2015年度の活動は、その血と汗の上に立たせていただいていた。この一年間で奨学金に関する報道が増えた。全院協への取材申し込みも増えた。それは私一人の力ではない、多くの人の努力のおかげである。それは決して揺らぐことの無い事実である。しかし、大学院生の経済実態を明らかにする営みは、これまで十分にされてこなかったということも、やはり事実なのだ。この全院協の活動が、そういった光の当たらない、大学院生という科学者の卵の実情に光を当て、少しでもその研究環境の改善に資することが できたら、それ以上の喜びはない。
2015年度全国大学院生協議会議長 藤村治