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2016.11.03
つくづく残念なことがある。それは、給付型奨学金が残念ながら現在もなお私たち学生・院生・奨学金という名のローンによって苦しんでいる人々の切実な声に応えるものとなりえていない、という点である。すなわち、昨年の文科省概算要求において「検討が間に合わなかった」という意味不明な理由で文言が抹消された給付型奨学金は、予算額を明示しない事項要求という形になり、その対象者も生活保護受給世帯か児童養護施設を退所した専門学校・大学・短大などに通う者に限定されることが検討されている。これでは、国民の願いとはあまりにも乖離している。
しかしながら参院選を見てみると、その実現への熱意に大きな開きはあるとはいえ、給付型奨学金創設を否定する政党は現在存在しない 残念ながらポーズの場合もあるが 。それはひとえに給付型奨学金創設を求める運動が長年粘り強く声を上げ続けてきた結果だと言えよう。
非常に残念ながら、日本がここまで遅れているのもそれなりに理由がある。言い換えれば、人権感覚の著しい遅れが集約されている典型例の一つがこの問題であり、自己責任というそれこそ無責任な言葉で片付けられるものではない。第一に、 2018 年問題というものがある。国連人権理事会は、 5年ごとに当該国の人権状況について調査をしており、この年までに日本は教育無償化のための工程表を提出しなければならないが、特に中等教育段階の制服・教科書の即時無償化、朝鮮学校への無償化措置廃止といった差別行為の撤回など 7 項目にわたって即時実現を求められている。しかし、現状は国連人権理事会が 2013 年に日本の人権状況を国際水準に引き上げるよう要請するなど経済大国ながら人権後進国である。
第二に、日本は1970 年代以降教育の公的支出が減少し続けているという珍しい国である。しかも、 7 年連続OECD最低という不名誉な地位は免れたものの、ワースト 2 位であることに変わりはない。家計負担が 65 %、経済的困窮者の大学進学を支援する仕組みが必要と指摘されていることから、「貸与型奨学金=教育機会の均等の確保」という政府関係者の言い分は明らかに破綻している。第三に、 1975 年ごろを境に学費が初任給を超え、今やその額はその数か月分にまで達しており、約 4 割が非正規労働者となっている時代である。加えて、自分の奨学金を完済する前に子どもが奨学金を借りる、という時期が目前に迫っている。来年 4 月からの新所得連動型奨学金制度は①最低月額 2000 円程度から所得ゼロでも返還させる、②本人が困難な場合はその配偶者または家族が負担する、という家族主義を柱とするものだが、まさしく返還させることが自己目的化し、金融事業と化した奨学金制度を象徴している。
現在の奨学金制度の問題点は①政策の失敗を個人に転嫁する「自己決定権なき自己責任論」、②時代と逆行する連帯責任という二つの仕組みによって個人が分断されているところにある。こうした状況を変えるためには常に自分の置かれた状態が「普通」なのか検討すること、決して受動的にならないことが重要である。
2016年度 全国大学院生協議会議長 土肥有理