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2020.04.27
2014年は一橋にとって格別の年であったろう。この年の7月と11月にそれぞれ「学長選考学生参考投票」と「副学長選考学生参考投票」が行われた。1946年より一橋大学は、学長の選考に際しては学生の除斥投票が行われるという教員人事に対する学生参加制度を有していた。1998年、予算手当てを引き換えにした文部省の介入により大学当局はこの制度を廃止することとなる。しかし、学部前期自治会・後期自治会学生会(当時)、院生自治会の三者と当局との団交により、学生参考投票制度という形で投票という形式は残され、またそれは学生が大学自治の主体のひとつとして、学長・副学長の選考過程において学生の意向が表明されることの意義を有していた。
2014年、上記両参考投票では当然のように候補者に対して公開質問状が提出され、候補者はそれに回答した。参加した学生・院生はその回答集を読み、学長・副学長としてふさわしくない方に除斥票を投じた。当時、この参考投票に関わった筆者の記憶では、大学が最終的に選んだ学長・副学長と学生側による参考投票の結果はに大きな差異はなかったと覚えている。しかし、このとき決まった蓼沼学長―沼上教育・学生担当副学長体制は一橋にとって長い戦いの始まりでもあった。
変化が起きたのは2015年からである。「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律」施行によって副学長選考が廃止となった。さらに、「教員」・「職員」・「学生」を対等な大学運営の担い手とする「三者構成自治」を支えていた学部自治会・院生自治会と教育・学生担当副学長による会合「副学長会合」が、「副学長の多忙」を理由に次第に開かれなくなっていった。院生自治会は過去の合意書や発言記録などを用いながら、あの手この手で再三にわたる開催要求と抗議を行った。しかし、それらに一切反応をしないというウルトラCによって学生側と大学執行部との回線を切られた。これは、学生側の声を一切聞かずして大学の意思決定を行う、すなわちトップダウン化の強化を意味していた。
そしてそのことは、この後に多くの問題を引き起こす。4学期制の導入による問題、休学者へのコピーカード配布のとりやめ、アウティング事件における一連の大学の悪しき対応、小平祭百田尚樹講演会に関する大学の無責任な対応、ハラスメント行為・差別発言を繰り返す教員への無対応、寮費値上げ問題、学費値上げ問題……等等、問題はここに挙げきれないほど頻発し、そしてそのいずれにおいても、どれもが大学執行部は構成員による抗議や改善を求める声を無視し、多くの者が納得いかない形で断行されていった。
学費値上げの問題は第一回で取り上げられ、寮費値上げについては第三回以降で取り上げられるため、ここでは筆者も参加した小平祭百田尚樹講演会の反対運動についてとりあげよう。この問題のどこに大学における自治破壊とのたたかいがあるのか。2017年春、小平祭実行委員会は本学で開催される小平祭において百田尚樹を呼んで講演会を行うことを発表した。度重なる差別発言、歴史修正主義的発言を行いセクシストでもある百田尚樹を一橋大学に呼ぶということに、いくつかの反対運動が起きた。
院生自治会もその担い手の一つであった。百田を呼ぶというのは、講演会で様々な差別的発言をするおそれがあったし、本学の研究がこれまで批判してきたあらゆる差別、歴史修正主義を許容することを意味していた。学問の自由は大学の自治によって守られるべきである。院生自治会はそうした観点から講演会そのものの中止を主張した。同時に、この企画を認可した大学当局が負うべき責任を追及した。大学が中止を決定しないというのは、これまで本学が築いてきた学問の成果を自ら否定することでもあったし、また大学が百田による講演を認めるということは、さまざまな背景を有する学生にとって許容することのできない彼の差別的主張、歴史認識などを大学が堂々と容認するということでもあった。
結果から言えば、この講演会は各種運動や声の結果、小平祭実行委員の判断で中止となった。本当に苦しいのはここからであった。講演会中止を受けて百田およびそのシンパは本学および研究科や一部の研究者に対する攻撃を開始した。院生自治会は、これを明確な学問の自由、大学の自治への干渉と認識し、当初講演会を認可した大学当局へ対し、責任をとって学問の自由と大学の自治、そして学生の安全を守る声明を出すよう要求していった。
大学当局はこうした声にも反応することはなく、黙殺した。最終的に大学執行部がなにもしないことを受け、各研究科が独自に声明を出すこととなった。大学が何の反応も示さないというのは、自らその大学の自治を放棄し自壊させているようにも見えたし、構成員たる学生をいないものとして扱うに等しい行為でもあった。
この後、本学の学生・院生は大学の数々の決定に対しその都度抗議をし、それが無視されるということともたたかい続けることとなる。こうした状況が継続しながらも、あきらめず声をあげ続け、大学当局への不満は急激に高まっていくこととなる。
そしてその不満は2020年にひとつの結果として示されることとなっていく……。