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2014.11.06
いやまいったね。
伝えたいのはたったひとつだ。「要請行動に参加してください」。そのように呼びかけたとて、呼びかけた人みんながみんな来るかというと、残念ながらそうではない。なぜだろうか 僕個人も、つい数週間前までやれ学会発表だ、やれ論文投稿だってテンパってたし、他の人であれば、アルバイトしたり、非常勤講師したり、家事・育児に追われたりする大学院生もいるかと思う。大学院生は忙しいのだ。日々過ぎゆく日常、じっくりと腰を据えてものを考えたり、何かに取り組んだりするのは易しくない。いやまいったね。
では、忙しくなければ来るだろうか?そうではないと思う。それはなぜか。理由がないから、価値があると思えないからではないだろうか。年に一度、文科省行くからなんなんだ、政治家に自分の話をして何の意味があるんだ、と。その背景にはおそらく、そんなの行ったって意味ないよ、自分の日常と政治だとか政策なんざ関係ないよって、そういう考えがあるのではないかと思う。
では、本当に要請には意味がないのだろうか?はっきりと書いておきたい、「一回要請行ったって、制度変わんないよ」って。政策には経路依存があるし、日本なんて国際的にみてとんでもない財政難・借金だし、教育なんて他の年金だとか医療だとかに比して、たいていの意識調査では「自己責任でやるべき」だという回答が出ているから。いやまいったね。では、制度が変わらなければ要請は意味がないのだろうか そうではない。全くそうではない。そこで、上に述べた問いの二つ目を考えたい。
では、本当に私たちの日常と政策には関係がないのだろうか?ここにこそ要請に参加する意味があると、僕は何度でも強調してもし足りないほど、強調しておきたい。これを読んでいるあなた、あなたの日常って、政策って全然関係ないんですかね?50万だ100万だという学費は、ほとんどのところ政策によって規定されている。奨学金の4分の3が有利子であり、働き始める前から数百万円単位で借金を背負って社会に出なくてはいけないのはほぼ政策のせいである。研究職に就こうが研究職以外に就こうが非正規率が高くなったり労働市場が 不安定になるという意味で柔軟化したりしていることも、けっして教育・雇用政策との関連抜きで語れる話ではない。
もし私たちが、「日常」に違和感を感じ、その批判の矛先が政策に帰着するものであるならば、政策と対峙するしかない。政策を変えなくてはならない。「日常」から抜け出すことはできない。「日常」こそ私たちの運動の源泉だ。「日常」に向き 合ったまさにそのとき、私たちは現実社会と向き合うのだ。さあ、要請行動にともに参加しようではありませんか。学費無償化を目指そうではありませんか。給付型奨学金創設を目指そうではありませんか。勉強や資格や研究が活かせる社会を目指そうではありませんか。人間が、誇りをもって生きることができる社会を、ともにつくりあげようではありませんか。
2014年度全国大学院生協議会議長 佐藤和宏