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2017.07.30
全国大学院生協議会(以下、全院協)の議長を務めております東京工業大学の藤堂健世と申します。現在博士課程に在籍しており、研究と全院協活動に務めております。今年1年微力ではありますが精一杯努力をしていきたいと思います。今年は 2 つの活動 の柱を大切にしていきます。1つ目は、大学院生の置かれた実態を把握する取り組み「 大学院生の研究・生活実態に関するアンケート 」です。そして 2 つ目は、アンケート調査などを通 して明らかになった実態を政策提言に練り上げ、中央省庁、各政党などに要請を行うことです。この 2 つの活動を通して、大学院生の生活・研究条件の向上を目指して行きたいと思います。今年度も全国の大学院生と力を併せて取り組んでいきたいと思います。一年間、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
しかし、 私がこうやって全院協議長をやっている事自体、なんだか不思議な気持ちになります。私が学費運動ということがあると知ったのは大学1年生の頃ですから、博士1年の今日までもう早いもので6年も経過しているわけです。6年前の私に「君は6年後、全院協議長をするんだよ」と言っても信用しないでしょう。なぜなら当時の私は自己責任主義者でしたから。そんな私がなぜ学費運動に興味を持ったのか。そして活動を続けているのか。
大学3年生の頃でしたか、私の友人が大学をやめると言い出したのです。その人は別に学問に興味がなくなったから、新しいことを始めたいからという理由でやめたのではありません。単純に学費が高くこれ以上家計負担を増やすことが困難なためでした。バイトをしても、自分の生活をギリギリ追い詰めても駄目だったそうです。自分が学びたいことがお金のために学べないという状況があるということ、そしてそれが精神的に人間を圧迫しているという事実、それは私にとって大きな衝撃でした。
その話を別の友人に話したところ「でも私立に行ったのはその人の自己責任じゃないか」と言われました。私立に行ったのはその人の自己責任・・・?学びたいことがあるから、その大学に行った。しかし、何らかの問題でいけなくなってしまった。しょうがない。じゃあやめよう。自分の責任だ。自分の生活を犠牲にして学費を稼いだけど、無理だった。自分の責任だ。オシマイオシマイ。
この国には「お金があるから」大学に行って自由に学べる人と、「お金がないから」大学に行って学べない人が確実に存在しています。そして「お金がない」ということが「自己責任」として片付けられてしまう現状があります。奨学金を借りても「返せない」のは「自己責任」だ。ブラックリスト登録だ。給付制奨学金制度に該当しないのは「自己責任」だ。社会全体の問題化する学費・奨学金問題を未だに個人の問題に押し付けているように感じました。このような政策・制度設計をした人たちは、彼らの苦しみを理解しているのでしょうか。そして、「自己責任論」を振りかざしている人々も。
結局この1年では変わらないのかもしれません。でも活動・運動は積み重ねていくことができます。去年までのバトンを引き継ぎ、活動をしていきます。至らぬ点もあるかもしれません。よろしくおねがいします。
2017年度全国大学院生協議会議長 藤堂建世
自己責任。この言葉がここ 30 年ほど浸透してきている。大学に目をやるとそれは奨学金で 苦しんでいるはずの当事者たる学生にまで及んでいる。給付型奨学金はできたものの、対象とされた住民非課税世帯約6万人 すら捕捉していない 2万人にとどまる。あろうことかその財源は大学院生の成績要件による奨学金減免規定枠縮小や特定扶養控除削減で賄おうとする議論が出ている。
しかし、生活困窮世帯は毎月の部活動費も修学旅行費も別途徴収され、およそ無償とは名ばかりの状態で給付型奨学金の対象になることがそもそも困難である実態が政府・文科省には欠落している。
私たちを取り巻く空間の中にも「金がないなら国立に行くか、働け」「 奨学金を返さないのは甘えだ」「自分の時もアルバイトで学費を賄ったのだからアルバイトしろ」などのまったく現状を見ない議論があふれかえっている。だが、この学費奨学金、さらには大学を取り巻く環境の悪化は人権侵害以外の何物でもない。第一に、経済的理由で進学を断念させられる、希望する進路に進めないということは基本的人権の享有 憲法第 11 条 、法の下の平等同14 条 、職業選択・居
住の自由同22条 、教育機会の均等同26条に抵触する。学費の負担主体である保護者の経済的状態に左右されることから、自己責任ですらない。 第二に、大学「改革」による軍事研究の推進や研究環境の悪化などの弊害は思想良心の自由 同19条 、学問の自由同23条を侵害する。第三に、日本学生支援機構の奨学金返済延滞者の属性に関する調査でも延滞が続く理由の第一が「本人が低所得」「返還猶予期間の上限を使い切った」であり、返さないのではなく、「返せない」のである。これは奨学金事業の金融事業化が進む一方で 1975 年以降学費が物価上昇率をはるかに上回る勢いで高騰したままになっていること、そして雇用政策の新自由主義的再編によって生み出されたものである。このことで生存権同25条すら脅威にさらされている。
責任を問われるべきは個人ではなく、そのような政策を行った歴代政権であり、またその政策を現に進めている現政権であろう。私たちの声を届ける場は少なく、政党の中には頭ごなしに拒否するところすらある。また、当事者同士が苦しみを分かち合う場というものも少ない。まずは院生組織が存在している大学においてその活動を活発化させることが重要だが、それだけでは対処しきれない問題にともに取り組むのが全院協である。地道な活動だが、私たち学生院生・若手
研究者の置かれている惨状は徐々に認知されつつある。今後とも継続していただきたい。一年間ありがとうございました。
2016年度全国大学院生協議会議長 土肥有理