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2017.12.01
全院協の「2017 年度大学院生の研究・生活実態に関するアンケート」は、6 月15 日から9 月15 日ほどまでの三ヶ月間実施し、800 名を超えるからの回答をいただきました。ご回答頂いた皆さま、ご協力いただいた大学や院協、学会の皆さまに、この場をお借りして御礼申し上げます。
大学の学費無償化がニュースで報道されるようになってきた。これは、18 歳選挙権の影響もあるのだろうが、一昔前(つまり私が大学生だった頃)に比べたらよい傾向になっているのかもしれない。ついに与党も「大学学費無償化」を叫ぶようになってきた。なんてことだ、これはすごい進歩ではないか。ところがフタを開けるとビックリ、学費無償化ではなく「大学在学時は学費無償化」ということらしい。よくよく見ると、「在学中に支払いを免除するのは「国立大学の授業料に相当する年間およそ54 万円と、入学金およそ28 万円を基本とする」としたうえで、私立大学などでこれを上回る差額分については、無利子の奨学金などでの対応を検討するとしています。(NHK ニュースより)」と、国立は免除だが、私立は奨学金対応らしい。なんてこった、ただの学生借金拡充計画じゃないか。国立で大学卒業時に200 万以上の借金を背負わせようとするのだろうか。大学院生は更に金額は増えるだろう。大学に通う分はお金の心配はかからないだろう。
しかし、卒業後の進路が見えない今の時代に、このような制度を設計するのは、不安や負担を個人に更に上乗せしてしまうのではないだろうか。自由な学びとは、個人の負担に依拠したものだろうか。大学での学びを考えないで制度を作りあげるから、どこかトンチンカンな設計になるのではないか(オーストラリアのHECS をモデルに構築したらしいが、オーストラリアと日本の大学事情が全く異なるということを考慮していない)。
もしこの制度で「学費無償化」を実現したと考えているのならば、それは大きな間違いだ。結局負担を先延ばしにする、私の研究のようなものだ。そして後々後悔するのは、その決定をした「国家」そのものなのだ。今はいいかもしれないが、学びを無視した制度は、破綻を示す。そんな予兆が始まっているかもしれない。
2017 年度全国大学院生協議会議長 藤堂健世