2020.03.15
全院協の要請行動は、⑴政治的な次元において大学院生の研究・生活状況の改善を要請すると同時に、⑵大学(院)政策に関する省庁、政党および国会議員の姿勢を問い質すまたとない機会と位置付けられる。したがって、要請行動の評価も以上2つの観点から検討する必要がある。以下では、かかる2つの観点から、2019年度の省庁要請、政党・国会議員要請についてそれぞれ評価を下し、反省点を析出していく。
まず今年度の文科省要請は、大学院生のおかれた研究・生活状況の改善を求めて、「人権」に立脚した要求姿勢を譲らなかった点で肯定的に評価できる。例えば、大学等修学支援法については、大学院生が支援対象から除外されているということに関して「経済整合性」[1]ではなく、生きて学ぶ研究者の立場からその不当性を主張した。アンケートに寄せられた切実な研究・生活上の困難を克服していく上で、こうした権利を揺るがせにしない姿勢を堅持する事は重要であった。
しかし他方では、遺憾ながら文科省の姿勢を明らかにするという点に関しては、9月に実施したレクチャー以上の回答を引き出すに至らなかった。事実、上記の文科省の回答を総論的に見れば、学部段階までの修学支援制度の設立や国立大学の授業料値上げを尻目に、大学院政策は当面据え置かれる見通しとなったことは明らかである。すなわち、明確な後退は見られないものの、前進もまたなかった。これは、あくまで従来の路線を踏襲するという点でゼロ回答に近いものであったと受け止めるべきであろう。こうした回答に止まった理由としては、国内的には今般の高等教育改革の、国際的には科学研究分野での競争の激化の影響が考えられる。すなわち国内外の諸環境の激変のなかで、政策アクター自身が大学院政策の位置付けを欠き経路依存的な施策に止まっているという実態があるのではないかということである。かかる状況下にあっては、具体的な改革案を引き出すことにそもそもの困難があったことは否めないと思われる。ただし、そういった客体的な困難があったにせよ、主体的(あるいは戦略的)な水準において、より詰めて臨むべきであったと思われる点も少なくない。
まず、省庁要請は政策アクターのなかでもとりわけ実際的な政策運用に携わる役人への働きかけを行う機会である以上、現行の政策の方針を問い、その問題点を指摘すると同時に、政策決定に関わる政策アクター(政党・議員)への要請に反映する必要がある。したがって、現行の政策の問題点を明らかにするための質疑をどれだけ練り上げられるかが重要となる。こうした角度から見た時、今年度の要請は大きく分けて以下の2点について問題があった。
①時間配分について。文科省要請は30分という限られた規定時間のなかで、要請項目への回答を得て、参加者からの質疑を行い、訴えを届けている。こうしたタイトなスケジュールの中で、今年度は要請項目に対する回答におよそ15分、全院協からの質疑に10分、参加者からの訴えに10分と、規定された時間を5分ほど超過してしまった。要請の重点を質疑におく限り、引き出したい回答をより絞り込み、質疑応答の時間をより多く確保するべきであった。
②質疑の戦術について。上記の問題と関わるが、他年度と比較して、今年度は1人当たりの質疑の時間がとりわけ長く、官僚を突き上げるような形となった。しかし、文科省の役人はあくまで官僚であって、形式的には政策決定者ではない以上、労働組合の団体交渉のような要請のあり方がどれほどの有効性を有するかは疑問の余地がある[2]。原則的に質疑は参加者の自由意思にもとづいて行われるべきであるが、全院協の戦術的には要請項目に照らして質疑の方針も共有しておくべきであったかと思われる。
③訴えの人数と要請時間について。2名の訴えの内容については、それぞれの状況や要望が率直に述べられており、申し分ないものであった。ただし、2名から訴えるか否かは、各年の戦略・戦術如何にしたがって、検討を要する。なお、要請時間は例年30分となっている。
同様に、財務省要請についても、文科省要請で指摘された問題点のうち、要請のあり方や質疑の仕方については、共通の課題が見いだせる。財務省は例年1人の担当者が対応に出向いてくるようであるが、彼らが立脚する「経済整合性」論に対しては、権利論を基礎にした要請姿勢を堅持することが重要である。この点では、今年度も譲らなかった。他方、財務省に対しては、個別の訴えではなく、回答を得た後、質疑応答に入る。したがって、財務省の論理をいかに権利論の観点から追及し、その矛盾を引き出すかが戦略上の重点となる。この点に関しては、今年度は全院協のよって立つ権利論と財務省の「経済整合性」論とが衝突し、押し問答に終始した結果、財務省側に煙に巻かれた格好となった。
文科省、財務省、両省庁への要請は、繰り返しにはなるが、政策運用上の当事者であるところの官僚機構への働きかけであることを意識し、質疑を練り上げていくことが、重要である。かかる戦略構築こそが、後述の議員要請を円滑に進めるカギとなるだろう。
次に、政党要請は、与野党を問わず主要な政党に対してアプローチを行った結果、上記の通り、4政党(国民民主党、社会民主党、日本共産党、立憲民主党、れいわ新選組)に直接要請を行うことが出来た。大学(院)政策については、政党ごとに色合いが異なり、この点について国民民主党は極めて弱腰であり、立憲民主党も具体的な政策構想が欠けていること、一定程度「経済整合性」論に親和的な姿勢があることが垣間見えた。他方、社会民主党、日本共産党は、一定われわれのよって立つ権利論的立場に親和的な立場に位置していると考えられるが、全国的な野党共闘の進展を視野に入れれば、今後も国民民主党、立憲民主党に強く訴えかけ続けることが重要である。
国会議員要請では、文部(文教)科学、財務、予算委員会を中心として20名以上の国会議員にアプローチした。本年度も予算決算委員会を目前に控え議員の予定がたたない、あるいは対応が難しい場合が多々あったが、最終的に19名の議員を訪問し5名に対しては議員本人に要請を行う事ができた。また秘書対応であっても実際に事務所内で時間をとって話を聞いてもらう事ができた場合も少なからずあった。班を編成する際には、所属政党が均等に分類できるよう留意した。その結果多くの班において様々な政党の意見を伺え、意見交換を行うことが出来た。例年と同様、秘書対応が多かったが、秘書がしっかりとメモを取り話や意見交換をする場が出来たのではないかと考えられる。他方、対応が冷淡な事務所などは、数分の対応で終了する場合もあった。そのため、早々に要請が終了し、時間を持て余した班もあった。要請先は吟味するにせよ、要請数は今年度+1名程度を検討してもよいかもしれない。
[1] ここでは、財政上の裏付けが得られなければ、公的な支援は実施できないし、検討もしえないという財務省側の論理を指して「経済整合性」論と呼ぶこととする。「経済整合性」論は、財務省側の殺し文句の1つであり、あらゆる要請項目を原資がないの一言で切って捨てるものである。しかし、この論理は決して完全無欠ではなく、厳密に追及を行えば、綻びも見られる(例えば、やや乱暴ではあるがこの間、増額を重ねている防衛費との対比などが挙げられる)。だからこそ、財務省の担当者は、ともすれば不誠実な対応とも受け取られかねない態度(今年度であれば事前に要請文に目を通していないといった)を以て我々との真摯な対話を回避しようとするわけであるが、こうした姿勢を許さず、追及の手を緩めないことが重要である。
[2] 一般に、日本的な政治システムにおいては、国会議員ではなく、官僚機構が政策立案から立法までの政策過程の全般を掌握しているとされるため、一概に団交的な要請スタイルの有効性が否定されるわけではない。しかし、そうはいっても制度的、形式的、手続き的には、国会議員を動かさない限り、官僚機構の思考様式、ないし行動様式を規定している論理は覆しがたい。